映像論という名の駄文

ニコンD70はなにをもたらすのか〜または「私的ニコン/キヤノン論」
http://www.itmedia.co.jp/anchordesk/articles/0403/05/news036.html
あちこちで(特にニコンユーザーに)いろいろ言われている文章なので、なにをいまさらという感もあるが。
この筆者は、「デジタル」だから、あるいは「デジタル」ならば新しい方法論や成果物がなくてはならないというスタンスに立っているんだね。
まあ、それはそれでいいんだけど、それとニコン批判めいた内容になるのはどうかな。
旧来の道具の常識に縛られていては発展はないというが、別に従来の道具でできることを新しい技術を持って再現して、それに結果として少しの向上がプラスされればいいという面もあろう。その積み重ねからいつのまにか以前とは違うものとなっているという進化の仕方もあるわけだ。
少なくとも一眼レフに限ってみれば、未だ銀塩のモノの良さにかなっているとは言い難い面もあるわけで、それを埋めるべく各社が商品を投入している。そこに、「今までの持っていて気持ちのいい機械」をデジタルで再現しようというニコンの姿勢は、それはそれで評価すべきではないだろうか。
新しいものへの挑戦をするキヤノンを誉めるのはいい。でもそういう方向を取っていない(とも単純には言えないと思うが)ニコンをなんとなく批判するのは、的はずれに思えて仕方ない。
「加えてニコンは、銀塩派のユーザーに対するこだわりも捨てきれないでいる。これは、ニコンの社員も感じているジレンマのようだ」・・・って。たった一部の(一人の?)社員から聞いたことをもってこう書いてしまうのもなにかな。キヤノンの社員の中にも「うちはデジタルカメラの商品戦略に一貫性がなく、古いユーザーを切り捨てることもあってもったいない」とぼやく人だっているだろう。
銀塩ユーザーへのこだわりを持つが故に、ニコンを評価している人だってたくさんいるんだろうにね。
「私的」とか「キヤノンの回し者ではない」とか注などで予防線を張りつつの記述も苦笑モノ。なんというか、うまいこと「私見」と「客観的評価」を分けた文章を読ませてもらいたいものだ。