テキストエディタ選びに悩みは尽きない5:開発の姿勢について

 ここまでは機能面について考えてきたが、ソフトを選ぶ時には、実は「継続性」「将来性」も大事なのではないかと思う。つまり手に馴染んだ作業環境を作り上げても、そのソフトが無くなってしまったらまた別の環境を構築しなくてはいけなくなるが、それは大変にエネルギーが必要なことだ。テキストエディタはデータこそテキストなので継続性に問題はないが、エディタ自体をあまりカスタマイズしてしまうと、後々苦労することが目に見えている。
 その意味で、乗り換えのコストを低くするために自分を標準的な操作・作法に馴染ませておくということも必要だが、一方で、使っているソフトにはできるだけ発展ないしはメンテナンスをし続けて欲しいわけだ。つまりは「開発の姿勢」の問題だ。
 OS自体がどんどん改良(?)されていく状況で、いくら上位互換を保っているとは言っても、いつかは古いアプリケーションは切り捨てられる。その時にアプリケーションの開発が停止しており新しい環境に対応してくれなくては、やはり乗り換えに無用のエネルギーが必要になる。そのためにはある程度ユーザーがいて、開発者が意欲を維持し続けているかどうかが、けっこう重要だと考える次第である。
 この点、テキストエディタというジャンルは比較的継続性の高いソフトが多い気はする。テキストエディタ自体が、作者にとって思い入れを持ちやすく(作者自身が一番のユーザーだったり)いつまでも手を入れることになるからだろうか。
 また、開発の姿勢に期待するもう一つの理由は、手の入れ方が頻繁である方がユーザーとしては楽しいという面もあることだ。つまり「こんな機能が組み込まれました!」という刺激は、けっこうユーザーへのアピールが強いと思うのだ。少なくとも僕は、そういった「ワクワク感」があるソフトが好きだ。
 まあ、一方で、頻繁な更新はソフトの「安定性」を損なう恐れはあるので、難しいところだが。特に高機能なマクロを持つエディタに顕著だが、仕様変更の結果、既存のマクロが使えなくなると言うことが起きると、それは幾人かのユーザーにはけっこうな問題になる。また無用のバグを生む温床ともなる。難しいところだ。
 いずれにしても、バグ修正も機能追加も、作者がモチベーションを維持して開発を続けてくれればおおむね安心できる傾向にはあると思う。少なくとも開発が滞っているソフトは、現時点でどんなに質が良くても、今後の選択肢には上がらない。
 …続く。