表現手段の稚拙さに透けて見える社会性の欠如

多言語で書けるブログはどこ?
http://kotonoha.main.jp/2005/05/09charactercode.html
個人が願いを持つのはいい。でも表現手段があまりにも稚拙。まあ、K2さんのところなどで、その稚拙さの理由がさっくりと理解できる。
K2さんの雑記
http://k2top.jpn.org/diary/?date=20050511#p01
ただのにっき
http://sho.tdiary.net/20050510.html#p03
付け加えれば「別にプログラマに限らない。そもそも人に頼む時の態度じゃないよね」。
島国根性」という表現や煽りという手法で願いを叶えようとする姿勢には、「自分(だけじゃなくてもいいけど)の要望は理解されて当然。周りがかなえてくれて当然」という極めて「甘やかされたお坊ちゃんお嬢ちゃん的精神構造」が隠れている。芸とか言っているのがまたなんとも。
 要望があれば、その要望の具体的背景を添えてシンプルに提示し続けるべき。「自分で作れ」とまでは言わないけど。だって作れなかったら希望を口にしちゃいけないわけではないからね。でも、自分の希望をかなえられるスキルを、自分は持っていない、持っている誰かに頼む、その際には自ずと「頼み方」があるってものさ。
 あとは、要望してもかなわない場合に、状況にがっかりするのは可としても、なにか対価を払っていない限りはその相手(スキルはあるはずなのに対応してくれない誰か)を恨むのは筋違いということもちゃんと認識しておく必要があるね。
 まあ、単に社会性の欠如の問題。島国根性とやらに慨嘆する前に、自分の「おぼっちゃん根性」を自分自身に問題提起した方がいい。