手書きの効用(?)

 こちらの更新を全然できない(しない(^^;)のは、最近日記を付けているから。しかも手書きで。記録しておきたいことなどはおおむね書き込んでしまうので、電子媒体にまで記録する必要性が薄くなる。日記を付けるのにけっこう時間も取るし。
 日記を付けはじめたのは、万年筆を日常的に使いたいからという本末転倒な理由からなのだが、理由がどうあれ手で文章を書くというのは脳にはいいと思う。少なくともグッと漢字を書けるようになった(笑)。日記を付けはじめる前は、読めても書く段になって「あれ?どう書くんだっけ?」と戸惑うこともままあった(僕だけじゃないよな?)。書く量を増やしてからは、何回も書くことである漢字を覚えるようになったのは当然だが、今までに一度も書いたことがない漢字でもある程度推測で書けることが多くなったのは不思議なものだ。「漢字勘」のようなものが養われたのかもしれない。いずれにしてもいいことだし、素直に嬉しい。そういう喜びがあるので、珍しく日記が続いているのだろう。
 もともと字をあまり書かなかったのは、自分の字の下手さ加減によるものだ。だから僕の世代にしては早くからパソコンでワープロを使い始めたのだった。でもここに来て日記を付けはじめたのは、万年筆に興味を持ったのに加え、この機会に悪筆コンプレックスが少しでも減らせたらなと思ったからでもある。道具はいいのに字は汚いというのは格好悪いし。しかし残念ながら全然うまくなった気はしない。まあ幼少の頃から下手くそなのが、数ヶ月手書きをしただけで、それもただつらつら書いているだけで特に手習いというわけでもないのだから、劇的にうまくなるわけもない。…とそう思っていたのだが、最近以前書いた文章を見てびっくりした。あまりの悪筆さに。ミミズがのたうち回ったような字とはこのことだ。いやあ、こんな字を書いていたんだぁ。つまり、いつの間にか「マシ」にはなっていたらしい。しかし今の字がうまいわけじゃないので、意外に嬉しくない…というのは、贅沢かな。達筆の方って本当に尊敬してしまう。
 なぜ字が汚いかを分析していて考えた。これは僕自身の性格を反映しているのだなあと。これについてはまた項を改めて書いてみよう。