こだわりが過ぎるということ(その1)

 道具にあまり入れ込みすぎると疲れる。と、のっけから何だが、ここ2年ほど万年筆や手帳・ノートを模索してきて、その考えが強くなってきた。
 書き味がとか、使い勝手がとか、自分の要求に完全にかなう物ってなかなか無いものだ。仮にあったとしても、それに巡り会うまでに費やす労力は恐ろしいほどの量が必要だ。
 そもそも、この間まで「ここがこうでないと」とこだわっていた点が、「いや、こうの方がいいかも?」ところっと変わってしまうこともよくある。つまり仮に「完全に自分の欲求を満たしてくれる物」が出現したとしても、いつまでも満たし続けてくれることは期待できない。
 逆に、最初は不満が多くても、慣れるまで使い込んでやることでその道具が自分にとっての「最適解」まで浮上してくることもある。それを目指す方がかっこいいようにも思う。「長年使い込んだ、相棒のような道具」って、いいよね。今手元にある万年筆やシステム手帳を見ながら、そう思う。
 ただ、そこまで育てるためには、ある程度不満はなくしておかないと…。なんて考えると、また模索が始まってしまうものだが。