感覚と評価の直結

 とあるラーメン屋で。カウンターで食べていた客が帰りしなに「味落ちてますね。親父さんが作っていた時よりも美味しくなかった」と店に告げていった。
 その店は、親父さんが十数年かけて味を確立し、最近は息子さんが厨房に入り親父さんは接客と、役割分担して営業している。件の客がそう告げたのは当の親父さんにだが、そばで調理していた息子さんにも当然聞かせたつもりだったのだろう。別に腹を立てたという感じではなく、「記憶と違う…」という思いが素直に口から出たという風ではあったが。
 いつも笑顔で接客している親父さんは機嫌を損ねるでもなく、「そうですか。すいません。一生懸命作りますから!」と、やはり笑顔で受け答えしてはいた。
 さて、僕はこの店の十年来の常連だったりする。1,2週間に一回はこの店に来る。頻繁ではないが、定期的なペースなので、店の人たちともずっと前から知り合いだ。そしてこの時もテーブル席で食べながらその様子を見ていた。その客も別に声を潜めてはいなかったので、その時店内に残った客達の間で気まずさが漂ったのは気のせいではないだろう。少なくとも僕は気まずかった。
 率直な感想を言えば、その客に対して「店の雰囲気を悪くして出て行く、気の利かないバカなやつ」と思ったことは否定できない。また同時に「勇気あるなあ」とも思った。
 店の人に悪い評価を伝えた行動自体を「勇気ある」と評したのではない。評したポイントは少々異なる。また、決して褒めてもおらず、皮肉な意味を多分に込めている(のは、読んでいる方にはおわかりだろう)。
 なにが「勇気」か。
 前述の通り、僕はその店にわりとよく通っている。何回も食べていると、割と味のブレを明確に感じるものだ。「あれ、今日はしょっぱい」「薄い…」「チャーシューがかたい」と不満を覚えることもあれば、「うわ、美味い!」「(食べ終わってから)じんわり旨さが染みてきたぞ」と満足感でいっぱいになることもある。ただ、この店はそういったブレの下限の時でも不味いわけではないし、平均したレベルは相当高いと思う(だから通っているわけだ)。余談ながら、どんなメニューでもいつも同じ味を提供するのはほぼ不可能だし、スープを煮て取るメニューは特に状態のブレが生じやすい。
 また、僕が感じている「ブレ」が必ずしも実際の商品の状態のみに依存したものかもわからない。人間の体の状態なんて常に変化し続けている。たとえば体内水分量だって、あるいは塩分の比率だって、同じような状態が続くわけがない。それらの上に成り立つと思われる味覚だって、同じものを常に同じ味に感じられると思う方が本当はおかしい。
 だから、今ひとつに感じたときも満足感でいっぱいになったときも、商品の質とこちらの味覚がクロスした結果であると考えるべきだ。基本的にはその時限りのものでしかない。
 また店の味自体も、このような真面目な姿勢で作っているラーメン店のような場合、意図して変え続けるのが当たり前だ。実際、親父さんと以前話していて「ようやく自分の思うような味が、10年かかって出るようになりました。でもこれからも調整していきますよ。」と言っていたし、息子さんが調理を担当するようになってからは息子さんなりに研究しているのも知っている。しかしながら、その店のラーメン自体は以前から大きく変わってはおらず、変えたというよりは調整し続けているという方が当たっている。ただ、意図した結果として、以前とまったく同じものではなくなっている。
 だから店の味を判断するには、何回か食べて、その上で自分の好みとあわせて、総合的に考えなくてはならない(判断するという理想からは、ね。まあ、消費者にそんなことをやる暇も義務もないが)。しかしそこまでやっても判断できることは、基本的には「味の質が落ちたかどうか」ではなく「自分の好みかどうか」でしかない。
 まあ、こういったことを考えもせず、店に「味が落ちた」と伝えた件の客は自分の味覚に絶対の自信が(無意識にしろ)あるということで、それを僕は「蛮勇」と評するわけだ。
 なお、明文化は難しいがある程度の「絶対的な質の評価」は存在するとは思う。ただ、それは大くくりな話だし、この店は絶対的な質について手抜きはしていないと、少なくとも僕には信じられる。またそこのラーメンを食べ続けてきた僕の評価は、多少の変化は感じられるものの、劣化ではなく変更であって、平均的なレベルは決して落ちていない、というものだ。
 この「自分の感覚で物事をすぐに判断する」という姿勢、これは底の浅さにつながると思って、僕は警戒している。もちろん僕自身がそうなりがちだから、自戒を込めてでもあるが。そういった意味で、前回書いた「こだわりすぎる人たち」や今回の件の客のような人たちに対しては、その蛮勇に少しのうらやましさとおおいなる軽蔑を持って目を送ってしまう。まあ、そういった人たちに働きかけることは容易ではないが、せめて自戒のタネになってもらうこととしよう。